第374号  (2006年08月07日 国会議員号)

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大成功だった台湾講演

8月5日、台湾での講演が行われた。主催者であるWealth Magazine社が大々的に宣伝をしていたため、日本からの15名の「追っかけ組」を加え、1000名収容のコンベンションセンターは満員の盛況であった。前日、李登輝前総統、国民党副主席・立法委員の江丙坤氏と会談し、台湾と中国との政治・経済問題と今回私が講演で主張したい内容について意見を交換した。

李登輝先生は台湾の独立を強く希望しており、対中経済関係には一定の節度を主張されている。拝金主義に陥った今日の社会を嘆かれ、人間再教育の必要性を主張。そのために書かれた多くのご著書をいただいた。江先生は台湾きっての経済通で、李登輝政権時代から経済関係大臣を歴任されてきた台湾経済の大御所である。台湾企業の対中投資が年間30%以上のピッチで伸びているのに本土での銀行業務が解禁されていないなど、対中経済規制がまだ厳しい。「資本に国境はない」の考えとはほど遠い部分がある。

私は、本来政治はできるだけ経済に介入せずに自由解放すべきだと考える。企業と銀行はコイン同様表裏一体だから、台湾政府は速やかに銀行業務解禁すべき。また、本来人と情報にも国境がないのが原則だから、速やかに中国人観光客の受け入れと情報交換の緩和をすべきである、と述べた。私は、特に両岸問題(中台安全問題)は両国の経済自由化が進み、両国の経済依存関係が深まれば解決できる問題と考えている。

世界中の経済アナリストが認めているように、2008年の北京でのオリンピックと2010年の上海での万博後の中国経済は、インフラ需要の激減からハードランディングすると考えられる。経済的混乱から起こる社会的、政治的混乱が収拾できるかどうかのリスクは大きい。中台の軍事抗争の危険を予測するのはアメリカでだけではない。私は、中国経済のハードランディングとその結果としての政治リスクを避けるためにはどうしたらいいかを、戦後アメリカが採った戦略を例に挙げて説明した。

第二次大戦で唯一無傷のアメリカは、戦後世界的復興需要を一手に引き受けることになり、世界一のモノ作り大国、貿易黒字大国、債権大国になった。しかし1970年代になると、日本と西ドイツの復興により世界経済の需給が均衡し始める。そこでアメリカのニクソン大統領は、1971年の8月15日(日本の終戦記念日を選んだのはモノ作りで日本に負けることを意識していたため)を期してドルと金との交換制を廃止することで、赤字国に転落した時、黒字国から自国の金を買占められる事態を回避した。

終戦直後のように需要が圧倒的に供給を上回った時代はモノ作りが、また今日のような供給過剰時代は消費者が経済主導権を持つ(消費者は王様)。だから需給が均衡した1971年になると、アメリカは急遽モノ作り大国から消費大国へ経済指針を変更した(脱工業主義)のである。こうして終戦から1971年、またその後もアメリカは世界経済を主導し続けているのである。

私が江先生に提案し、また講演で述べたことは、2010年後の中国政治・経済の危機を回避するためには、かつてアメリカが断行したように、中国も「モノ作り大国から消費大国への大転換」が必要だということである。そのためには中国の農業と国営企業の改革が必至。台湾にできることは、こうした中国の経済改革に積極的に参加することである。また、それは日本にとっても言えることである。中国の政治・経済リスクを回避しなければ、日本、台湾そしてアメリカも甚大な被害を受ける。台湾が中心になって、日米の協力のもとに中国経済改革の支援に乗り出す時がきたと考える。これが今回の私の講演の主旨である。

※ 江丙坤先生には私の講演に御来臨賜りましたこと、心より感謝申し上げます。



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発信者 : 増田俊男
(時事評論家、国際金融スペシャリスト)